怪談・怖い話 体験談

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置き去りにされた記憶

私は精神科医として20年以上働いてきた。様々な患者を診てきたが、3年前に出会ったある患者のことは今でも忘れられない。

その患者は30代後半の女性で、激しい不安障害と鬱症状を訴えて来院した。彼女の症状の根源は10年前に遡る。彼女は当時、恋人と山奥でキャンプをしていたという。
「ある日の夕方、彼が薪を取りに行ったきり戻ってこなかったんです」と彼女は震える声で語った。「私は一晩中彼を探し回りました。翌朝、警察に通報して大規模な捜索が行われましたが、彼は見つかりませんでした」
彼女の語る内容は一貫していたが、どこか違和感があった。治療を重ねるうちに、彼女の記憶に空白があることが分かってきた。恋人が消えた夜から翌朝までの出来事を、彼女はほとんど覚えていなかったのだ。

催眠療法を試みることにした。彼女の同意を得て、徐々に当時の記憶を掘り起こしていった。そして、ある日のセッションで衝撃的な事実が明らかになった。
彼女の潜在意識から、おぞましい光景が浮かび上がってきたのだ。
血まみれの手。地面を掘る音。土の中に何かを埋める自分の姿。
彼女は悲鳴を上げて目を覚ました。そして泣きじゃくりながら叫んだ。

「私...私が彼を殺したの?でも、どうして?覚えていない...」

私は動揺を隠しきれなかった。患者の記憶が真実だとすれば、10年前の未解決事件の真相が明らかになったことになる。しかし、それを証明する手段はなかった。
その後、彼女の症状は悪化の一途をたどった。激しい自責の念と現実感の喪失に苦しみ、最終的に入院治療が必要になった。
そして先週、衝撃的なニュースが飛び込んできた。山中で10年前の白骨遺体が発見されたのだ。DNA鑑定の結果、彼女の元恋人と確認された。

さらに恐ろしいことに、遺体の頭蓋骨に複数の傷があり、他殺の可能性が高いという。私は震える手で新聞を握りしめた。
そして昨日、警察から連絡があった。彼女の自宅から、当時使用したと思われるナイフが発見されたという。彼女は既に容疑者として取り調べを受けている。

今、私は深刻なジレンマに陥っている。患者の守秘義務と、正義の狭間で苦悩している。そして、もう一つ恐ろしい疑問が頭をよぎる。
もし彼女が本当に殺人を犯していたとして、なぜ彼女はその記憶を完全に抑圧していたのか。そして、その裏に隠された、さらに恐ろしい真実があるのではないか。

私は今夜も、彼女との治療セッションの録音を聞き直している。そして、そこに潜む恐るべき真実の欠片を見つけようとしている。